大事なのは「推し」ですか?「推し仲間」ですか?――『推し』について考える

先日、twitterでこんなアンケートをとりました。

「推し」について調べています。よろしければ、あなたの「推し」の人数を教えてください。 細かい定義はありません。単純に、「推し」と呼べる相手がどれだけいるかをお答えいただけると幸いです。

結果はこうなりました。

1人 34.1%
2人~4人 43.5%
5人~9人 15.2%
10人~ 7.2%
(投票数 138票)

ざっくりですが、約3割が「推しは1人」、7割が「推しは複数」という結果です。複数推しの内訳を見ると、10人以上という猛者もいましたが、だいたいは5人以下でした。

アンケートにご協力いただいた皆さま、改めてありがとうございました。

この結果を踏まえ、「推し」について考えてみます。

あなたはちゃんと、「推し」の方向を向いていますか?

「推し」から逃げた日

そもそも「推す」とは……なんて書くと長くなるので、Weblio辞書から引用。

「近年の美少女アイドルグループのファンの中では自分の一番のお気に入り(のメンバー)を指す表現として「推し」と表現する言い方が定着しており、昨今ではドルヲタ界隈の用語の枠を超えてアニメキャラや球団を対象に「同種のものの中ではこれが一番好き」という意味合いで広く用いられるようになりつつある。」

ただ、これはあくまで定義のひとつ。「アイドル全体で一番好き」という意味もあれば、「そのグループで一番好き」という使い方もある。もっとフランクに、挨拶代わりでの「推します!」もあるはずです。また、がんがん推しを変えたり、増やしたりする方もいるし、一途にずっと推し続ける方もいる。

一口に「推し」といっても、意味合いはさまざまです。「推し」という言葉に広義の解釈があり、そのどれも、きっと間違いではありません。それはアンケートの回答を見ても明らか。もし、「推す」の定義が定まり、周知されていれば、ここまで回答がばらなけないはずです。

ただ、広義だからこその問題が起きます。解釈の違いにより、ファン同士の温度差が発生してしまう。例を出せば、「推す」を重く考えている人と、軽い意味合いで使う人では、どうしても価値観の相違が出る。

相違があったとき、「推し方はそれぞれ」で双方が納得すればいいのですが、ここからファン同士のトラブルに発展することも多いです。

この温度差のトラブルが嫌になり、わたしは「推し」という言葉を使わなくなりました。

人生いろいろ、推し方いろいろ

いまわたしは、「推しはだれですか?」と聞かれても、明確には答えません。「みんな好きですね」とか「強いて言えば」など、できるだけぼかします。もちろん最初からそうではなく、ドルヲタになった当初は、「推しは〇〇です!」と言っていました。

それがなぜ言わなくなったのか。

「推し」という言葉を使うと、自然と「推し仲間」ができます。はっきり書きますが、それが嫌でした。

その仲間内で、「推してるんだったらこのぐらいやれよ」。常にそう言われている気がしました。「推し」と名乗ったのなら、その人の情報はすべてチェックして、すべて参加するぐらいの意気込みを求められる。勝手にそう思い込み、ひとりで苦しくなっていたのです。

でもわたしは、大きな勘違いをしていました。

「推し」ではなく「推し仲間」を見ていたのです。みんながこれをやっている。これだけ買っている。これだけ見ている。なのに自分は……と常に比較していました。それじゃ苦しくなるのは当たり前です。

推し方は人それぞれ。何百万円も使える人もいれば、少ないお小遣いでやりくりしている人もいる。努力や根性でなんとかする人もいれば、家庭の事情で動けない人もいる。本当にさまざまです。それを一緒くたにするほうが変ですし、同じ推し方を強要するのもおかしいです。

それじゃなにを基準に考えればいいのか。自分の推し方は正しいのか。不安になることもあると思います。大金を使う推し仲間を見て落ち込むこともあるかもしれません。

でも、判断材料にするのは、他人の推し方ではありません。推し方において、一番大事なのはなにか。一番見なくちゃいけないのはだれか。

それはたったひとり。

「推し」と宣言した相手だけです。

破産を求めるアイドルはいない(はず)

他人の推し方を見て落ち込む前に、「推し」を見てください。「推し」が望んでいること。それはきっと、できる範囲で応援してくれることです。

アイドルは人気商売です。ファンがいなくては成り立たない。ファンのなかでも、現場にくる、なにかを購入する、そんなファンはとくに重要です。ライブを見にきてくれた、会いにきてくれた。それが嬉しいのは当たり前ですし、求めるのも当然です。ボランティアでやっているわけではありません。

だからといって、破産するまでお金をつぎ込むことを望んでいるアイドルはいない(はず)です。自分のせいで、そのファンが路頭に迷うなんて普通に考えて嫌じゃないですか。

メンバーを悲しませないため、何度も何度もループして、「だいじょうぶ?お金だいじょうぶ?破産しない?」と心配されているファンも知っています。もし破産しても、メンバーには責任の取りようがありません。

他人と比較して背伸びや気落ちせず、自分に持てる限られた資金や時間のなかで、精一杯好きな人を応援する。

いうなれば、それこそが「正しい推し活」だと思います。

「推し」と幸せな時間を

昔のわたしは、他人と比較してばかりで、自分の推し方に自信がもてませんでした。だから、「推し」という言葉を使わなくなった。でもいまは、他人は他人と言える強さが、ようやく身についてきたと思います。

それでも、やっぱり好きなアイドルに、「推し」とは言えないでいます。

最初のアンケートに戻ると、わたしは「推しはひとり派」です。いや、こんな浮気性丸出しのブログを作成していて、なにを言うんだと怒られそうですが……。ただもう、軽い気持ちで「推し」とは言いたくないんです。「推し」と言ったのなら、自分が持てる力をすべて注ぎたい。そう思えるぐらいのアイドルに出会えたとき、この言葉を再び使おうと思っています。

重いですよね。重いんです。でも間違ってはいないはずです。そう、間違いはありません。あくまでこれはわたしの「推し」への向き合い方。推しは何人いてもいいというのも正解。何度も繰り返しますが、「推し方はそれぞれ」です。

ただひとつ、ちゃんと「推し(たち)」を見てください。

あなたを推します。その言葉にはなんの責任も義務もない。明日推し変しても、違約金は発生しません。でも、その言葉ひとつで、「推し」は、はじめてあなたの「推し」になります。

この広大なアイドル業界において、「推し」と呼べる相手に出会えた。その奇跡に感謝するのは、ファン側だけではありません。アイドルだって、見つけてくれた喜びがあると思います。

そんな「推し」に、どうすれば喜んでもらえるか、どうすれば悲しませてしまうのか。もちろん、すべては思い通りにはできません。すべてを求められているわけでもありません。推し方は、「推し」と「ファン」の数だけあります。

他人を基準にせず、できる範囲で、自分なりの推し方で、奇跡の出会いを果たした「推し」と幸せな時間をつくっていきましょう。

どうか、良きヲタライフを。

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